Friday, June 12, 2015

イニシエーションラブ

壁|゚∀゚)ノHELLO-☆★
今日はせっかくの休みなのにCT検査で午前中は潰れた…
でも、授業がないから映画でも観てこようかなと思って、
イニシエーションラブを観てきた!

【A面】「原作読んでるけど映画はまだ観ていない人」向け(映画のネタバレなし)

まず簡潔に書いてしまうと、原作小説「イニシエーション・ラブ」は「同じだと思ってた人が別人でした」オチの(一応)ミステリー小説。それも、ミステリーとしての部分は最後の最後に明かされるため、ギリギリまでは普通のラブストーリーとなっている。

あらすじをまとめると…

主人公の鈴木が繭子という女性と知り合い、恋に落ち、恋愛が順調にステップアップしていく様子が前半部分。後半で鈴木は就職後に繭子と遠距離恋愛になり、 繭子の妊娠騒動や鈴木の東京の同僚との二股を経て、2人は別れていくことになる。が、実はこの前半と後半は同時進行の物語であり、「鈴木」は2人いたこと が最後に判明する。つまり、繭子が同じ苗字の男性2人に巧妙な二股をかけていたことがオチ、という小説だ。

原作は小説なので、登場人物の顔はもちろん見えない。だからこそ、「繭子と付き合う鈴木という男」がまさか2人いるなんて、普通は気付かない訳である。ま あ、注意深く読んでいくとかなりの伏線や前振りが設置してあり、勘の良い人は気付けるだろうし、最後まで読んで「え?」となった人にも、巻末のあらすじで 懇切丁寧にトリックや伏線を説明してくれる(このシーンとこのくだりは実は繋がっていましたよ、等)。ある意味とっても素直に作られたミステリーであると 言える。





それが映画化されると知って、まずは「無理だろ」と思った。「顔が見えない」から成立するトリックなのに、「顔が見える」映画という媒体でそれが出来るのか、と。一体どうやって…。色々と予想した。松田翔太が実は双子の兄弟というアレンジで、繭子こと前田敦子は兄弟相手に二股してた、とか…。まあ、この時点で書くくらいなのでハズレなんですけどね。(また、コメント欄で「松田龍平が出るのかと思った」というご意見をいただき、ついハズレなのに「その手があったか!」と唸ってしまった…)

そんな原作既読の自分でも、「あー、なるほどこうきたか。なるほどなるほど」と、思わずそう唸ってしまうアレンジに仕上がっていた。映画的に面白いか、と いう部分も大いに語りたくはあるが、色々と「狙って」やってる感が、個人的にはかなりお気に入り。原作既読でも十分に楽しめる部類ではあるし、むしろ「は いはいww」と頷きつつニヤニヤを浮かべながら観れると思う。





【B面】「映画を観た人」向け(すべてのネタバレあり)


ということで、全てのネタバレ解禁のコーナー。

原作では「顔が見えない」からこそ成立したダブル鈴木のトリックを、映画では「デブから痩せた」という技でクリア。
つまり、前半の時点では松田翔太ではないデブの役者さんが、前田敦子と何の変哲もない恋愛劇を繰り広げる訳です。そして、「繭子(前田敦子)のために頑 張って痩せる!もっと彼女に似合う男になる!」と誓った後に、後半へ突入。そこには、ランニングでスマートなボディを手に入れたデブの姿が…!(演・松田 翔太)

…と、文字だけで書くと「なんじゃそりゃ」な事態だが、これが割と上手くやっている。

何より、デブの役者さんがちょっと松田翔太に似てる!ここ!これがズルい!繭子のために格好を良くすると髪を刈り上げ たあたりで、「あれ? ちょっと目とか鼻とか、そこはかとなく似てるんじゃね?」と、ついつい思ってしまう。あのキャスティングそのものが最大の功績な訳だ。そもそも原作を読ん でいる人は、冒頭でデブが出てきた時点で全てのカラクリが解けてしまう。「なるほど、痩せて松田翔太になるのね」と。そして次の興味が「このデブが本当に 松田翔太になるのか?」という点。いや、もちろんならない。松田翔太にならないのがオチだけど、松田翔太にならなきゃならない。そういう意味で、あのデブの役者さんがかなりの水準でハマっていたのには、大いに拍手を贈りたい。

ということで、ステップを踏むデブの足のカットがランニングする松田翔太に切り替わるシーンが(両者とも繭子にプレゼントされた同じデザインの別個体の靴 を履いている)、いわゆる「テープの巻き戻し」に該当する訳だけど、正直あのデブが松田翔太になった時点で、もうギャグなんですよ。原作既読の人は「松田 翔太になる訳ないけどなるんだよね」と分かっていながら、その変貌ぶりについ(良い意味で)失笑してしまうし、原作未読の人は、それこそバラエティ番組を 観ているように「んなわけあるかーい!」と笑ってしまう。でも、この「デブの松田翔太化」が映画の最大の肝であるために、堤監督は色々と映像的な伏線を張っている。





端的に言うと、この映画、ものすごくダサい
堤監督はキャストを画面のセンターに大写しに撮ったりするので、しばしその手法は揶揄されたりするが、今回はそんなこと御構い無しに割と「わざと」やって いる。そして、前田敦子の周りにCGでお花を散らしてみたり、阿呆みたいに古いメロドラマのように撮ったり、往年の名曲をコントのように流したり、もう完 全にダサいのである。でもこれはおそらく意図されたダサさで、この「ちんちくりん」なクオリティこそが、「デブの松田翔太化」の違和感を消しているのだ。 仮に全編もっと「ちゃんと」撮られていたら、デブが松田翔太になるシーンが浮きすぎである。あり得ない、と観客は思うだろう。木を隠すには森なのだ。デブを松田翔太にするために、この映画はダサくなったのである

観る前は「前田敦子の魅力に溢れてるんだろうなあ」と思ってスクリーンに足を運んだのだが、観終わった後は「木村文乃がやべぇ!」となっていた。これは何も女優さんの好みの話ではなく、演出の成果であると感じている。

前半は確かに前田敦子が魅力を振りまく。ぶりっ子だし相当にあざといが、アイドルでセンターをやっていた彼女の経歴が脳内に刻まれているこっちとしては、それもどこか「アリ」に思えてくる。しかし後半になると、木村文乃がぐいぐい追い上げてくる。圧倒的な「東京の女」感!大変失礼な話だが、あれ程に魅力的だった前田敦子があっという間にお子様に見えてくる。「東京の女はイイ女」。そんなオーラが演出にバリバリなので、主人公である鈴木がそっちに惹かれるのも「アリ」に観えてくる、という訳だ。上手い具合に演出にも騙されてしまった。





原作と異なる結末として、2人の「たっくん」(もしくは「タッくん」)が出会ってしまうのがラスト5分のオチである。原作では最後に(東京に転勤した方 の)鈴木の下の名前が明かされ、「えー!? 違う人物だったのか!」となる仕掛けだが、そりゃあ映画では違うキャストでやっている訳だし、邂逅しない訳にもいかない。そしてその後に、執拗な伏線の解 説シーンが続くのである。

この2画面を使っての伏線解説シーン。ここまで馬鹿丁寧にやるのかと、蛇足だと、つまらないと、そういう意見も分かる。が、これはある意味こうであるべきなのだ。 だって、原作がそうなのだから。原作は鈴木の下の名前が明かされてサラッと終わるが、その後に、あとがきと称した大層な解説ページが続いている。そして、 80年代のアイテムや時事ネタの解説まで。原作を読んだ人の多くがそこまで読み進めるだろうし、その後ネットを開いて「イニシエーション・ラブ ネタバレ」と検索し、レビューや解説を読みに行ったことだろう。

つまり、「そこまで」映画にしているのだ。もっと言うと、「最後の5分、全てが覆る。あなたは必ず2回観る」という キャッチコピーも、割と原作小説のままだ。映画ファンからは、ナンセンスで節操のない売り方だと批判されているけれども、あの宣伝は原作小説の帯や各種公 式ポップのままなのである(「ラスト2行で~」「最後の2行が!」など)。つまり、「これはどんでん返しがありますよ~」と、そもそも原作がそういう触れ 込みでヒットした作品なのだ。

映画「イニシエーション・ラブ」は、これに近いものを感じた。つまり、観客にとってデブの存在は映画が始まる(ふたを開ける)その瞬間まで伏せられていたからだ。 重要な手札を一枚伏せたまま原作既読者をスクリーンの前に座らせるのは、これも一種のルール違反であるとも言える。原作既読者に対して「松田翔太が鈴木を 演じる」という手札は見せられていたが、「デブが松田翔太を演じる」ことは隠されていた(キャストクレジットにもデブ役の人の本当の名は無く、フェイクが 載っていた)。あくまで理想論ではあるが、松田翔太が全編演じた上でそれが観客の推理を上回ってこそ、究極の「正解」なのだ。(実際に可能か否か、という話ではない)

ただ、「イニシエーション・ラブ」は別に本格推理小説ではないし、そもそも論として原作既読者には「デブ」の二文字ですら一瞬でネタバレになってしまう訳 で、そりゃあ隠すしかない。多少フェアじゃないし、ズルさもあるけれども、このオチならばこうせざるを得ないだろう。松田翔太が本当に一度太ってから痩せ るとか、そういう阿呆ほどに真面目なトリックを用意してたらそれはそれで驚きだが…。

評価として9/10だ!
結構面白い!
皆さんもおすすめだよ!
では、(◎皿◎)ノノ"バイバイキーン

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